この記事は
- シン・エヴァンゲリオン劇場版:||の最後の意味が知りたい
- 見たけれどよくわからなかった
- 考察記事が読みたい
方に向けて書いています。
※本記事は、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||のネタバレを含みます。ご注意ください。
2021年春ついに公開
新型コロナウイルスにより発出されていた緊急事態宣言の影響で遅れていましたが、先日やっと公開された「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。
前作からおよそ8年経過した今、筆者的に熱量は冷め気味ではあったのですが、今回のシリーズ最終編ということで前3作を再視聴してモチベを上げて観てきました。
前投稿では、主題歌である「One Last Kiss」について分析しましたが、
この記事は シン・エヴァンゲリオン劇場版:||の主題歌が知りたい 「One Last Kiss/宇多田ヒカル」がどのように作られているか知りたい 方に向けて書いています。 シン[…]
今回は、筆者が観て感じた感想と考察を書いてみたいと思います。
ちなみに筆者は、この作品の記事の執筆にあたり、なんの考察記事も見ていなければ、庵野監督のドキュメンタリーも見ていません。
完全なる独自解釈/考察記事となります。
「:||」ではなく「||」だった
まず観終えたときに思ったこと。
それはこの作品のタイトルが音楽記号の部分です。
Q公開時の8年前、次回予告で発表されていたものの、この記号の意味について議論が白熱していたと思います。
当ブログは音楽系ブログですので、簡単に説明しますと、「||」というのは、五線譜の終止記号なんですね。
しかしながら、これに「:」がつくとリピート、つまり繰り返し記号となるのです。
「したがって、エヴァはまた終わらずに繰り返すのではないか?」
「いや「:序」、「:破」、「:Q」なので、あくまで区切り記号だ。」
「どちらにもとれるダブルミーニングにした」
という解釈に別れました。
しかしながら、今回観終えた感想としては、
終止記号だった。に尽きると思います。
監督が伝えたかったは旧劇場版といっしょ
そして、その次に感じたのは、
「なんだ、旧劇場版と言いたいことはいっしょじゃないか。」です。
お話的には全く別物になった今作ですが、
監督が言いたかったのは、前と同じで。
「おまえら、こんなアニメや中学生の少女達に捉われているんじゃない。外へ出ろ!」
なんじゃないかと思います。
つまり、エヴァの呪縛に囚われてしまった我々の開放がテーマだと感じました。
旧劇場版は、シンジがアスカの首を締めるも、殺すこともできずに「気持ち悪い」と言われて終わるエンディングでしたが、
それも同じメッセージです。
そして今回は、エヴァに関わったあらゆる人を開放することに全力が注がれたように感じました。
それは監督自身(碇ゲンドウ)の開放を含みます。
ミサトと加持の間にできた子「加持リョウジ」の意味
まず劇中に、ミサトと加持の子供である「加持リョウジ」なる登場人物が出てくるんですよ。
これ、出す必要ある??
ってところなんですが。
葛城ミサトという登場人物は、所謂「みんなのお姉さん」だったわけです。
大人でガサツだけどちょっとエロくて。。
みたいな。小さい子から大きなお友達までリビドーを刺激する登場人物だったわけです。
それが母になる。
葛城ミサトというキャラクターに惚れた視聴者を突き放す必要があったと思います。
そしてそれは、この25年「葛城ミサト」というキャラクターに捉われた三石琴乃さんの開放でもあるのでしょう。
マリとシンジを残した意味
最後まで残ったのは、葛城ミサトでもアスカでもなくレイでもなく、マリでした。
なぜ、このような終わりにしたか?
それもやはり開放です。
これまで母性としての象徴だった綾波レイ、異性としての象徴だった式波・アスカ・ラングレー。
どちらも多くのファンを獲得してきました。
ぶっちゃけエヴァは、善良なファンからすると
- シンジが綾波レイ宅にて覆いかぶさってしまうシーン
- アスカと一緒に寝るシーン
がすべてじゃないですかw
その二人を敢えて消す(という表現が正しいかはわかりませんが)ことで、
また視聴者を開放しようとしたんだと思います。
もう25年、このキャラクターに捉われてしまったんですから。
これもまたやはり、CVである林原めぐみさんと宮村優子さんの開放も含むと思います。
映画のかなり前半で綾波レイ(もどき)は消えますが、
後半に髪の長いオリジナル?が登場させたのも、しっかりとそこでお別れをさせる目的と思われます。
碇シンジの声が「神木隆之介」になった意味
最後のシーン、碇シンジとマリが駅で再会します。
その時、碇シンジの声が変わっているんですね。
人づてに聞きましたが、あれば神木隆之介くんだそうです。
大人になったシンジに、あえて別のCVをたてたんです。
そう、この25年間、一番呪縛に捉われていた緒方恵美さんを開放するためです。
「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。」
碇シンジを象徴するセリフ。
当初「新世紀エヴァンゲリオン」の主役声優を務めることになった緒方さんも、ここまでこのコンテンツに縛られるとは思いもしなかったでしょう。
それは、声優にとってはとても幸せなことかもしれませんが、
演技者としては苦しいものだったかもしれません。
最後に緒方恵美さんを開放しなければ。
したがって、最後に別の声優をたてたと筆者は解釈しました。
すべてのエヴァンゲリオンが消滅し、呪縛に囚われることがなくなったマリとシンジは大人へと成長します。
男性が大人になることの象徴、「声変わり」。それを経て、最後まで残りつつも縛りの象徴だったもの。
DSSチョーカーです。
すべての呪縛から開放されたシンジは、DSSチョーカーが外れ、マリと旅立っていくのです。
最後のシーンが実写である意味
一番最後のシーン、宇部新川という駅だそうで、これも人づてに山口県であることを知りました。
なぜそこにしたかはちょっと筆者の考察外ですが、
この最終シーンが、実写でのドローン空撮になるんですよね。
大人になったマリとシンジが駅の外へ駆け出していくシーンから、ドローンが宇部新川の街並みを俯瞰し物語は完全に終劇します。
なぜ実写なのか?
これもやはり、視聴者をアニメから開放する。という表現であると解釈しました。
というのもやはりこの映画で伝えたいことは
「おまえら、こんなアニメや中学生の少女達に捉われているんじゃない。外へ出ろ!」
だからだと思います。
現実は、フィクションよりも面白い。
この25年の呪縛をすべて開放し、俺も全部さらけ出したから、
君たちも外へ出て、たくさん失敗して、苦しんで、
そして幸せになれよ。
そう伝えたかったのだと解釈しました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
もしかしたら他の方も同じように書いているかもしれませんが、
ひとまず筆者が映画を観て感じたアニメーションの外側にある「伝えたいこと」にフォーカスして、考察してみました。
筆者自身、このコンテンツに25年縛られていたように思います。(ガンダムにも)
これから迎えるポストコロナの時代。その世界はこれまでの世界とは全く別物になると言われています。
その前にあなたも、きっとこの作品で何かから開放されたはずです。
それは長い長い青春が終わったという喪失感というほうが正しいかもしれません。
「エヴァは人生」だった人も前に進みましょう。
例えるならば、スターウォーズのような世代交代です。
もし原作ナウシカを映像化するなら庵野監督に。。というファンの願いがある中、
数十年後、次のエヴァを創るのは、あなたかもしれませんね。
クリエイターに感謝。