「猫狩り族の長/麻枝准」感想から紐解く才能論について

この記事は

  • 「猫狩り族の長/麻枝准」の感想が知りたい

方に向けて書いています。

 

 

シナリオライター「麻枝准」さんという方

 

筆者がこの方を知ったのは、アニメソングを解析するようになった2020年のこと。

 

それまでTVアニメは「進撃の巨人」しかみておらず、

短編のアニメ映画(新海誠さんや、細田守さん)ばかりをチェックしていた人間です。

 

ブログのネタになるし、何より勉強になるからとアニメソングを解析し始めた頃に放送された「神様になった日」が出会いでした。

 

このアニメの終わり方に対し、ネットでは批判が散見され、

当人のTwitterアカウントが消されたそうなのですが。

 

筆者的には今後現れることのない傑作として記憶に残る作品でした。

 

OP、ED曲の作詞作曲、劇伴に至るまでもMANYOさんとタッグを組んで手がけており、

筆者はなかでも「宝物になった日」というアニメ最終回で流れる歌詞

 

僕らが目指した夢は遠すぎた それでもたどり着けた

宝物になった日/麻枝准

 

が強烈に響きました。

 

で調べてみると、伝説の作品を数多く世に排出しており、多くの信者の方がいることも知りました。

最近解析した、「小林さんちのメイドラゴンS」の主題歌を担当している、fhána(ファナ)も、麻枝さんが携わったCLANNADに影響を受けたクリエイターで結成されています。

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勿論、山梨市にもいきましたし、その後Angel Beats!やCharlotteもチェックさせていただきましたが個人的にはあまり響かず、

原点回避と謳った「神様になった日」は筆者が求めていた一夏の青年の成長物語としてとてもフィットしたのだと思います。

 

猫狩り族の長

 

そんな麻枝准童貞だった筆者を感動に導いてくれた感謝を込め、

小説「猫狩り族の長」を刊行したとの情報を見て、機会があれば読もうと思っていたのです。

 

 

なんですがどこの本屋にもない。。

有名な方なのでしょうが、小説家としてはデビューなのであまり取り扱う本屋がなかったようです。

 

筆者は筆者で、こういうのは出会いだからと

あえてネットで購入したりもせずに、毎週通う複数の本屋をうろうろするだけに留まっておりました。

 

すると、ある日別の本を買いに行ったときに出会ったのです。

二子玉川の蔦屋家電でした。(毎度この店のセレクトには脱帽します。)

 

蔦屋家電ナイス!!

 

 

ということで、今日はこの本の感想を書いてみたいと思います。

普段こういうことは記事にはあまりしないのですが。。

 

完全なる麻枝准さんへのラブレターだと思っていただきたい。

 

 

一般的なレビュー

 

まあ読む前に、ちょっとググってレビューをみたんですけどね。

 

最初に購入するのはファンですから、ポジティブなコメントが多いわけですが。

ファンの中にも、もっとよくなってほしいという思いから辛口批評もありました。

 

文章がやや稚拙だ。とか。

まあ普段から文芸に触れている方からすればそうなんでしょうね。

 

ただ、筆者は音楽もシナリオも、「伝わること」が最重要だと思います。

そういった意味では筆者なんかは非常に読みやすい作品だったと思います。

 

ライトノベルと呼ばれても仕方ありませんが、その分セグメントが絞れてよいんじゃないでしょうか。

作品自体、ターゲットを広くしているようには見えませんでしたし。

 

ただ、いうならばカバーのデザインだけがオールターゲットなんですよね。

やたら高尚な文芸作品に見えてしまう分、肩透かしを喰らう人はいるかもしれません。

 

最近だと、アニメチックなカバーも普通にあるので、そういうデザインにしたほうがよいとは感じました。

 

 

 

筆者的な感想

 

で、物語の概要ですとか、ネタバレ感想などは他のサイトでもたくさんあると思うので。

 

ちょっと筆者がこの本を読んで感じたことをつらつら書いていきたいと思います。

 

世の中に完全にフィットして生まれる人はあまりいない

 

主人公の時椿は、十郎丸という自殺志願者を保護する生活を始める。残された数日で会心させる。

というのが、本作のおおまかな内容なのですが。

 

まあこの十郎丸という女性が、とんでもなく曲者なんですね。

 

とにかく、人が絶対に好きであろうことが全部嫌いなのです。

もう息をすることすら嫌いなくらいなんです。

 

もし、仮に自分がそうだったなら自殺したくもなるでしょう。

 

なんですが、多かれ少なかれ

人というのはこの世の中と何かしらフィットせずに生まれてくると思うんです。

 

例えば筆者は内向型です。

人が多いところが苦手で、人に会う時間が長いほど疲弊をしていきます。

(けして内気というわけではないのです。)

 

外交型は人と会うことによってエネルギーを得ていきます。

一人の時間に疲弊していきます。

 

要はエネルギー源が内にあるか外にあるかの違いです。

 

で、この世界の多くは、外交型が生きやすいように作られています。

「友達100人できるかな」なんて歌はもろにそれを反映していますし、義務教育から我々は外交型として生きるよう教育もされて育っています。

 

思えば子供の頃から生きづらさを抱えていました。

 

つまり筆者は、この世界とのギャップが大きい人間なのです。

今でも、この世界とどうしたらうまく繋がれるか模索する毎日です。

 

筆者の「内向型」はわりと重いほうだとは思っていますが、他にも性同一性障害や、病気や身体障害があったりとフィットしないと日々悩む人は様々です。

でもそれはやはり広い世界でみれば少数なんだと思います。(現に内向型は全人類の1/3と言われています。)

 

したがって多くの人はこの世界とのギャップが少ないのだろうと感じています。

 

 

「フィットしている人」それを人は「才能」と呼ぶ

 

例えば、昨今世間を賑わせている二刀流。

 

もちろん彼は子供の頃からメジャーを目指し、目標達成シートを着実にこなして成長して努力した結果今に至るんだと思いますが。

 

仮に彼が超人間嫌いだったらどうなっていたでしょうか。

 

「好き」、「嫌い」は感情です。

論理ではどうにもならない気質なのです。

やりたいことは無関係に見えて、とても重要なこと。

 

もし、毎日違う人にあって話さなければならないのが苦痛という気質で生まれた場合、

彼はメジャーどころかプロ野球選手にすらなれていなかったのではないでしょうか。

 

これは努力ではどうにもならない部分だからです。

 

それがたまたま彼はそこに関してこの世界とのズレなく生まれてきた。

 

人はそれを「才能」と呼ぶのではないでしょうか?

 

 

 

 

「才能」があって「努力」が実を結ぶ

 

もちろん、それだけで彼はプロにはなれないでしょう。

 

果てしない努力をしたでしょう。

その結果、彼は世界的なプレーヤーとして成長することができました。

 

つまり、

 

  • この世界とある部分でフィットして生まれた結果
  • その他の大きすぎないアンフィットな部分を埋め合わせていく

 

それが「努力」なんではないかと。

 

この本を読んで思いました。

 

十郎丸はこの世界とのズレがとても大きい人として、終始物語が展開します。

 

配信一位の楽曲は作れるものの、難しい音楽理論も知らなければ、

方向音痴、人嫌い。好きなものは猫だけ。でも猫にはなつかれない。

 

散々な描かれ方をします。

 

努力なんてしても意味がないくらい、前提がフィットしてない人はどう生きたらいいのか。

 

この作品ではそれを描きたかったのではないでしょうか。

 

 

天才が見せたいもの

 

「神様になった日」だけではなく、これまでも多くの批判の的になってきた麻枝准さん。

それでも彼が作品を生み出し続けるのはなぜでしょうか?

 

 

天才を殺す凡人という本をご存知でしょうか?

 

この中で、「天才には幽霊が見えている」という話があります。

 

この幽霊というのは比喩で、「多くの人が見えてない世界」だと思ってください。

 

仮にそれがあなたにだけみえていたら。

そして誰に話しても信じてもらえないとしたら。。

 

あなたはどうするでしょうか。

 

きっと信じてもらうまで誰かに説明し続けると思うんです。

だって誰も信じてくれないんだから。

 

そう、「あの手」「この手」を使って。

 

 

筆者が思うに、麻枝准さんが作るシナリオ、アニメ、音楽、小説。

それが「あの手」「この手」なんだと思うんですよね。

 

 

それは麻枝准さんだけでなく、あらゆるクリエイターがそうだと思います。

 

だから、

この登場人物がこうなったからこの作品はダメ。とか、

展開がハショリすぎだからダメ。とか、

 

そういった表面で判断していたら、彼が伝えたいことの本質は全然見えないんじゃないかと思いました。

もちろん、物語として娯楽として、楽しめないとダメというのはわかりますが。

 

正直、「神様になった日」を批判しているのは、

「猫狩り族の長」で言われている「外の世界」からの目線を持てない、感情移入しすぎたが故のものではないかと思います。

 

そしてクリエイターとしては大成功なんだとは思いますが、それでも麻枝准さんは観測されない幽霊を認めてくれる人を探し求めて作り続けざるを得ないのではないかと。

 

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

 

小説をめったに読まない筆者です(「しょうせつ」と打つと「小節」が先に出ます)が、

「猫狩り族の長/麻枝准」を読んで感じたことをしたためてみました。

 

もちろん物語も楽しめましたが、

何より十郎丸の両親との関係や価値観に個人的に深く共感しています。

 

僕はまだまだ麻枝准さんの作品を勉強しなければならない身ですが、

とても崇拝されている方であることは知っていますし、

 

麻枝准さんはエゴサもする方らしいので、

今日は完全に麻枝さんに向けてのラブレターでした。

 

非常におこがましいですが、いつか筆者が音楽で何かお手伝いできることがあったら是非やりたい!

それは自分がこの世界と少しでもフィットしたということになるなぁなんて考えています。

 

そのために、今日も無骨な音楽を作り続けるのでした。

 

 

くどしゅん
完全なるラブレター

 

 

 

 

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